県短の石碑について

 

 

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▲木々の間に挟まれていた 不思議な形をしている

 

 三本の柱があり、真ん中の柱には「鹿児島聯隊之址(かごしまれんたいのあと)」と彫られている。

聯隊…近世以降の陸軍の部隊編成単位のひとつである。一般に、師団または旅団の元の単位で、数個の大隊または中隊によって構成される。(引用:Weclio辞書

 

 

「昭和四十七 三月二十四日

       鹿児島聯隊閉係有志建立」

 

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▲柱3本中1本は何も彫られてない

 

 

鹿児島連隊とは

大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。

 

歩兵第45連隊とは

大日本帝国陸軍の連隊の一つ。(1896-1945)

編成地は鹿児島で時期は明治31年。通称号、明9020部隊。

1897(明治37)年、鹿児島郡伊敷村に熊本を本部とする第六師団所属の歩兵第四十五連隊が置かれた。

郷土部隊の性格を持ち、多くを鹿児島出身の青年で編成された本連隊は日露戦争・満州事変・第二次世界大戦と成果を上げていき、日本屈強と評された。

第二次世界大戦中は、中国の長沙作戦などにあたっていたが南方戦線の悪化に伴い急遽1943年にブーゲンビル島に上陸。1944年に米国軍と前面衝突し、連隊のうち8割の死傷者を出し壮絶な最期を迎えた。

45連隊の正門は「営門」と呼ばれ、現在は鹿児島県立短期大学の正門として使用されている。また、近くには営門通り商店街や営門公園などその名が地域に息づいている。

引用:鹿児島商工会議所

 

 この石碑は第二次世界大戦で悲惨な最期をとげ国のためにと力を上げた、歩兵第45連隊に所属する兵士たちへの追悼と戦争へ悲哀の念を込めて設立されたと考えられる。

 

 

 

 

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